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孝徳天皇の大化の改新

遠山美都男氏

「大化の改新の主役は、軽皇子(孝徳天皇)だった。もともと即位できる立場の皇族では
なかったが、姉が皇極天皇となったことで即位の可能性が高まった。しかし、皇極天皇が
蘇我入鹿に山背大兄王(聖徳太子の子)を殺させ、次の天皇には蘇我氏が指示する古人
大兄王に決定する。このため軽皇子が天皇になるためには、蘇我氏を倒す以外に道はなく
なり、乙巳の変を実行させた」
「こうして即位した孝徳天皇のもとで政治改革がなされるが、次第に皇極上皇と中大兄王子
の力が強くなり、653年、孝徳天皇は退位を迫られるが、これを拒否すると、皇極と中大
兄王子は豪族たちを引き連れ、孝徳を置き去りにして飛鳥に戻った。結果、孝徳は失脚して
皇極が重祚して斉明天皇となり、中大兄王子は皇太子となった」

中村修他氏

「日本書紀」で中大兄王子が孝徳朝での権力者として扱われるのは、同書の編纂を命じた
天武天皇が、兄をおとしめようとするのが目的だったという。
確かに「日本書紀」を読むと、中大兄王子が蘇我蝦夷や入鹿、古人大兄王を殺し、協力者
の蘇我倉山田石川麻呂を弾圧し、孝徳天皇を難波に置き去りにし、謀反の罪を着せて有間
皇子(孝徳の子)を処刑したことが明記されている。あまりにワルすぎる。

天武天皇は、天智天皇の子・大友皇子の近江朝を滅し、武力で政権を奪い取った人物。
それゆえ、あえて兄を悪人にして自分の新王朝を正当化する必要があったのだという。