信長再び
グローバル基準
リーダーとしては織田信長が圧倒的に世界に通用する人物です。
金銀銅の三通貨制を設けたり、楽市楽座を実行したり、海外との交易を盛んに行った。
ビジネスに関するビジョンをいつも打ち出した点で、三人(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の
中ではぶっちぎりで傑出しています。
それは、信長が、他の戦国大名に比べてマーケットを知っていたからです。若い頃には那古野と
いう尾張の商売の中心地の町をブラブラし、町の若者たちと一緒に遊んでいた。売ったり買った
りもよく見ていた言いますから、ビジネスの現場をわかっていたのでしょう。
信長の政策の独自性に疑問を投げる研究者もいるようです。しかし、どの大名も天下は取れてい
ないです。信長が傑出していたのは、「コレとアレを組み合わせて行けば、天下が取れるで」と
いう大きなグランドデザインを描けたところにあります。
後継者の豊臣秀吉は、信長のグランドデザインを実行したにすぎません。秀吉の太閤検地や度量
衡の統一は、信長が領地内で実施した検地の延長線上と見ていいです。
江戸時代は、「徳川家康の優れたシステムで長く安定した」と言われますが、優れた政策はほぼ
全てが信長・秀吉のアイデアをパクったものです。
信長が優れているところとして、仕事をミスっても部下を殺さない点です。史実をチェックする
と、信長の部下で仕事のミスが原因で殺された人はいません。激しく叱責されたり、追放された
りあっても、殺されないというのはとても安心できます。
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」という川柳は、江戸時代に家康を必要以上に持ち上げよ
うとしたものです。
豊臣秀吉は、目から鼻に抜ける賢さがあって、仕事の面では頼りがいのある上司です。高い成果
を出せば、たくさん褒美をくれてモチベーションも高めてくれそうです。しかし、秀吉の部下は
ミスしたり機嫌を損ねたりすると殺されてしまいます。高い成果を求められるのに、、ミスは許
されないのは仕事をするには厳しすぎる環境です。この三人の中では、一番仕えたくない上司で
す。誰でも殺されるのはいやです。
徳川家康は、実際のところ有能なのかどうかもわかりません。しかも、三河以来の古参の部下が
周囲を固めているので新参者はなかなか近寄れません。家康は、信長が描き秀吉が実現させたグ
ランドデザインに、新しく何かを加えたようには見えないのです。長生きしたことが家康の勝因
です。家康が先に死んで前田利家のほうが長生きしていたら、前田幕府ができていたでしょう