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阿部正弘

ぶっちぎり

幕末から明治が舞台のドラマでは、薩摩や長州、土佐などの志士が活躍し
倒される徳川幕府の人たちはともすれば悪役もしくは烏合の衆のように
描かれがちです。しかし、そんなはずはなく、幕府には優秀な人がたくさん
いました。そのなかでもぶっちぎりなのが、ペリーと日米和親条約を結んだ
ときの老中首座だった阿部正弘(1819〜57)です。
彼は備後福山藩(広島県福山市)の第七代藩主で、25歳で老中になり
二年後に老中首座に就きました。27歳で現在の首相に当たるポストに
就くのですから驚くべきスピード出世です。
ペリー艦隊が浦賀沖に現れたとき、阿部正弘は開国を決断しました。
200年続いた鎖国を止め、外国と交易して産業を興し、その儲けたお金
で軍事力を強化する。黒船来航で日本中が慌てふためくなかで、この
「開国、富国、強兵」というグランドデザインをしっかり描き切り、
それを着実に推進して行きます。それが安政の改革です。
彼は開明的な発想ができたうえに、実行力もあり、スピード感もある
相当に腹の据わった人物だったろうと想像できます。