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平清盛

保守本流

大治4(1129年)12歳で従五位下
久安2(1146)29歳で、安芸守、中務大輔兼任の正四位下になる
ここまで他と比較して早い出世ではない。
保元の乱(1156年)39歳に播磨守その後太宰大弐の地位
平治の乱(1159年)42際
永暦元年(1160年)2階級特進の正三位、参議となる(公卿の仲間)
保元の乱、平治の乱は共に正真正銘の真剣勝負で、清盛の実力と強運のゆえ
王保元年(1161年)44歳に検非違使別当、権中納言
永万元年(1165年)48歳に兵部卿兼任の権大納言
永万2年(1166年)49歳に正二位、内大臣へと駆け上がる
仁安2年(1167年)50歳に従一位太政大臣になる(

清盛の出世の奇跡では①前半は慎重かつ着実に地位を上がる
②千歳一隅のビックチャンスに実力で勝ち抜き③上り詰めた後も
権力のバランスに配慮して地位の安定をはかった。

彼の「海」の志向、すなわち、晩年に摂津福原に遷都した彼の海洋
国家構想がある。おそらく清盛は、当時の東アジアの国々と同列の
「普通の国」を目指していた。「武」を衣の下に隠し、交易にも重き
を置く方向である。しかし、清盛は福原に遷都した翌年、64歳でなく
なる。それ以後の武家政権は、「武」を前面に打ち出す。当時の東アジア
では「異質な国」の形を選択していくことになった。