和歌と日本文化など
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和歌
現代では、「歌を詠む」という行為は、女性的なものだと考えられがち
ですが、歌を詠むことは、当時の貴族文化の真ん中に位置する行為です。
しかも、、歌を詠むときのメインテーマは、「恋」、これは漢詩の世界
とは全く正反対をなす。
中国の「漢詩」
中国では、漢詩を読む、文章を書く、漢字を操る、はその人の能力を判断
する第一の要素になる。
文字との関わり方に全ての知性が凝縮されるのだと考えていた。それゆえ
中国の男性はうまい漢詩を書ければ、高い官職に登用されるのが一般的。
しかも、漢詩には女性や恋をテーマにしたものは、一切ありません。
中国は日本よりも性文化が発達した国です。恋愛も盛んでしたが、
女性が文字と関わることを認めていませんでした。女性は科挙を受けられない。
中国では、詩や歌は恋愛に使うものではなく、あくまで出世のための大切
なツールだったのです。
「色好み」な和泉式部
日本の場合、和歌のメインテーマは「恋」です。ここに中国と大きな違い
があります。
平安時代の日本では、恋愛をしている人ほど、尊敬される風潮さえあった。
恋愛が盛んな男女を指す言葉に、「色好み」という言葉があります。
これは現代ではマイナスにとられがちですが、当時は「恋愛をしっかり
楽しんでいる人」「気持ちに余裕がある大人っぽい人」としてプラスの
評価を受けました。
和泉式部は紫式部の同僚でした。歌人として大変有名な藤原道長の娘であり
一条天皇の后だった藤原彰子に仕えていました。
和泉式部はどのように色好みな女性だったのか。
彼女は別居中の夫がいたにも関わらず、冷泉天皇の第三皇子出会った、為尊親王
に求愛されます。その後、為尊親王が亡くなった後は、その弟の敦道親王から
求愛され、恋仲になります。二人の親王、しかも兄弟から求愛され、その愛
を受け入れるという奔放な恋愛模様が世間に知られます。
その後、武士が登場したあたりから、日本は男尊女卑社会に移行して行きます。