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婿取り、嫁取り

婿取り婚

もちろん、当時の日本は多夫一妻制ではありませんし、
一人の女性のところに同時に複数の男性が通うことは
ありません。女性側が同時進行で複数の人と恋愛すること
はなく、女性は男性が来るのを待つだけ、男性側は同時に
何人かの女性の家に通うことがつねでした。

子供が生まれた場合、女性が子供を産むと、生まれてきた
子供は母方の祖父母、すなわち妻の実家で育てられました。
これがいわゆる「婿取り婚」

嫁取り婚

平安の後期ごろ、婿取り婚は、段々と「嫁取り婚」に
変わっていきます。
この婚姻形態の変化は政治にも影響を与エルことになる。

摂関政治

摂関政治のしくみは、天皇家と藤原家の女性が子供を作り
その子供が新しい天皇になる、そして、母方の祖父である
藤原氏が、自分の孫の変わりに政治の実権を握り、巨大な権力
を欲しいままにしていた。

摂関政治では、摂政、関白になれるのは「母方の親戚」
です。祖父が権力を持つこともあれば、叔父や伯父が権力
を持つこともあります。

院政

ところが、平安後期に入ると、摂関政治に代わって登場
するのが院政です。院生は、母方ではなく、父方の祖父、
つまり天皇の父や天皇の祖父である先の天皇が、天皇家の
家父長として力を持つと言う形式を取ります。
平安時代の前期・中期では母方政治が主流でしたが、後期に
なると父方の政治へと移行します。
このように母方の政治から、父方の政治への変革が起きたのは
婚姻形態が変わったのとほぼ同じ時期です。
どちらが、先か厳密にはわかりませんが、一般的には、結婚
形態が先に変わった為、政治の形態に反映されたと考えられて
います。