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武家政権

将軍権力

軍事と政治の二つの権力で成り立っている。
「主従制」は御恩と奉公。家来は将軍のために命がけで
働く、その代わり将軍は土地を御恩として家来に与え、
両者の関係性を作り出す。

家康の場合

御恩を与たのは、関ヶ原の戦いの後、1600年に家康は
大阪城に入場して、それぞれの大名に対して、「お前は俺
に逆らったから領地とりあげ」「お前は俺をひどく傷付けた
から腹を切れ」「お前はおれのために戦ってくれたから領地
を倍にづる」など一人ひとりの処遇を決定する。
つまり、1600年に豊臣秀吉と諸国の大名たちの関係は
一旦チャラになり、徳川家康と彼らのあいだに主従関係が
結び直された、このときまでの家康は、豊臣家の政権下に
いる大名の一人として認識されていたが、1600年にほか
の大名の処遇を決めた段階で、それぞれの大名と盃を酌み交
し、主従制を作りあげた、家康は日本国の主従制を作り上げ
た。家康は日本全国の主従制のピラミッドのトップに立った
のです。
将軍権力の二元論で考えるならば、1600年の段階で
徳川幕府はできていたと考られる。