承久の乱1221年
後鳥羽上皇1180〜1239
後鳥羽上皇は平家滅亡という動乱の中、4歳で天皇に即位します
19才で天皇を譲り、上皇になる。
武芸一般に精通
新古今和歌集を編纂
刀も造らせた
上皇では一番の能力者ではあった。
源実朝
後鳥羽上皇は源実朝を手懐けて、自分の子である頼仁親王を将軍にしようとした。
鎌倉幕府
1219年に鎌倉3代将軍の源実朝(みなもとのさねとも)が暗殺された事を機に、鎌倉幕府から政権を取り戻そうと1221年に「承久の乱」を起こしました。
隠岐へ流される
朝廷の権力を回復させる大方針からついに倒幕を狙ったが、承久の乱に敗れてしまい、出家して隠岐へと配流された。
法名は金剛理、あるいは良然(りょうねん)であった。
以後、亡くなるまでの19年間、隠岐での生活を余儀なくされた。