2人の名将
川崎フロンターレ
2012年4月、川崎フロンターレは成績不振を理由に監督の相馬直樹を
解任し、後任に風間八宏(現C大阪アカデミー技術委員長)を選出した。
現役時代にドイツなどでプレーした風間は独特の技術論の持ち主。
プロのチームを率いた経験はなかったが、筑波大の監督として徹頭徹尾
ボールを所持する攻撃的なスタイルを築き上げ、大学サッカー界で異彩を
放っていた。
風間が指導に使ったのは「止まる」「蹴る」「運ぶ」「ずらす」といった
平明な言葉ばかりだが、要求するレベルは度外れれて高かった。「スペー
ス」「フリー」といった言葉の概念も人と違う。極小の時空間でボールを
操る神業のような技術を選手たちに求めていた。基礎練習の徹底によって
ボールと戯れる原初的な喜びを取り戻した中村憲剛はここから円熟期を迎え
ていく。
風間を招いたのは強化責任者の庄司春雄です。彼は配下のコーチの今野章と
寺田周平をアカデミー(下部組織)に送り込んだ。そこから、田中碧、脇坂
、三苫薫らがやがてプロデビューを飾る。
ボールを大事にする風間流ロマンチズムは時に逆襲速攻のえじきとなり、
得点だけでなく失点も多かった。
次の鬼木達は無冠のまま去った前任者の下でコーチを務めあげ、その長所と
不足をよくわきまえていた
「常勝」チーム鹿島が出身、ブラジルの英雄ジーコにプロの姿勢を学び、
中盤のハードワーカーとして選手時代の後半生を川崎で過ごした。
勝つためには一切の妥協を拒む。風間の後継者を自認しつつも「好きな
ことだけやっても勝てないぞ」と選手に語りかけ、球際の激しさと組織的
なハイプレス戦術を徹底に植えつけた。